無料ダウンロード新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫) pdf

新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)

によって 松濤明

無料ダウンロード新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫) pdf - 新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)をお探しですか? この本は著者が書いたものです。 この本には392ページページあります。 新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)は山と渓谷社 (2010/11/1)によって公開されています。 この本は2010/11/1に発行されます。 新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)は簡単な手順でオンラインで読むことができます。 しかし、それをコンピュータに保存したい場合は、今すぐ新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)をダウンロードできます。
内容紹介 「一月六日フーセツ全身硬ッテ力ナシ…」。凍える指先で綴られた手帳の文字は、行動記録から、やがて静かに死を待つ者の遺書へと変わってゆく。迫り来る自らの死を冷静に見つめた最後の文章は、読む者の心をつかんで離さぬことだろう。この壮絶な遺書のみがクローズアップされがちな同書だが、本書では山岳史研究家の遠藤甲太氏が解説を加え、人間・松濤明の素顔と、氏の登攀史上の業績を明らかにする。松濤明の残した記録の数々を、新しい視点で読み直すための絶好の書、待望の文庫化! 内容(「BOOK」データベースより) 「一月六日フーセツ全身硬ッテ力ナシ…」。凍える指先で綴られた行動記録は、やがて従容として死に就こうとする者の遺書へと変わってゆく。動けなくなった岳友の傍らで死を覚悟し、壮絶な手記を残した風雪の槍ヶ岳北鎌尾根に逝った松涛明。彼が残した珠玉の紀行とエッセイを再編集し、解説を加えて現代によみがえらせた『新編・風雪のビヴァーク』がついに文庫化。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 松濤/明 1922年仙台生まれ。旧制府立一中卒。中学時代から新進のクライマーとして活躍し、1938年東京登歩渓流会に入会。同年、谷川岳一ノ倉沢や穂高岳滝谷などを登り、翌年12月には滝谷第一尾根冬季初登攣に成功する。1941年、東京農業大学に進学して山岳部員となる。1943年、学徒出陣で入営。1946年に復員後、八ヶ岳や北岳バットレスに数々の記録を残す。1948年12月、有元克己とともに槍ヶ岳北鎌尾根から焼岳の縦走に出発したが、連日の風雪のために北鎌尾根にて遭難。その状況を克明に記した遺書を残し千丈沢で死去。享年28(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

以下は、新編・風雪のビヴァーク (ヤマケイ文庫)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
言わずと知れた松濤明の遺稿集…と言っても山を齧らなければ知り得なかっただろう人だ。「単独行」の加藤文太郎との共通項である「北鎌尾根」と「遭難死」から興味を持ったのがきっかけだが、その非凡な個性と明快な文章に圧倒された。いわゆるインテリだったそうだが、純真なまでの山への恋慕、過剰なまでのストイックさは、「その後」の人生を危うくさせるものかも知れない。世情が余計に早熟にさせた部分もあるだろうが、それでも山が「生きる目的」でありながら、山を「死に場所」と決めて風雪に埋もれて行く最期には、山への愛着が窺えて胸が痛い。なお別書「二人のアキラ」で彼の側面を知る事が出来たので、未読の人にはお薦めしたい。もし生還していたらどんな半生を送り、どんな文章を残してくれただろうと思わないでもない。しかし不運が重なった結果とはいえ、あれは起こるべくして起きたのだと思えるのは、「その後」の彼が中々想像出来ないからだ。

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